2月から4月のしきたり~節分・ひな祭り・お花見

2月のしきたりといえば
豆の音と元気な掛け声が響く
節分の行事ですね。
「鬼を追い払う」こと以外にも
意味があるようです。

3月のしきたりは「ひな祭り」。
女の子のいる家庭では、
おひな様を飾る一大イベントですね!
今も昔も子どもを思う気持ちに
変わりはないようです。

4月は日本人の大好きな「お花見」です。
「花より団子」という言葉もありますが、
頭の上を彩る桜は、
やっぱりきれいですよね。

その、お花見の由来とは、
どのようなものなのでしょうか。

今回は2月から4月のしきたり~
節分、ひな祭り、お花見について
調べてみたいと思います。

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2月のしきたり~節分

「鬼は外、福は内!」

豆をまいて鬼を退治するのが
節分の日ですね!
今では2月の大きなイベントとして
行われていますが
元々節分とは、その名前の通り季節を分ける時のことを表しています。

ですので、立春、立夏、立秋、立冬と、四季に合わせて年4回、
それぞれの前日が節分と呼ばれていました。
それがいつのころからか立春の前日だけを
節分と呼ばれるようになったそうです。

と言いますのも旧暦では
立春の頃が新年でした。
ですので、立春の前日は節分であり
大晦日でもあったわけです。

春夏秋冬の中でも新しい年を迎えるこの日は重要視されていて
唯一の節分となって現在に
至っているといえます。

そんな節分では1年間の厄を落とすことが
何よりも大切にされていました。
そして新しい年には病気や心配事も
不幸もなく楽しく暮らしたいと
願うものです。

だからこそ悪いことや物事の
集まりとされている「鬼」を、
やっつけなくてはならないわけです。

鬼というのは伝説のモンスターなどではなく人の世に降りかかる災いの
象徴とされています。
この鬼を追い払って1年の幸せを祈ること、それが節分です。

今でも同じですが季節の変わり目というのは体調を崩しやすい時期ですね。
気温や天気も不安定で風邪をひく方も
多くなります。

だからこそ節分という行事によって人々に
注意を促す意味もあったようです。
現代の節分でも、そのことを思い出して
体調管理をしっかり心がけたいですね!

鬼を追い払うという節分の行事は、平安時代から続いています。
中国から伝わった「追儺(ついな)」や
「鬼遣(おにや)らい」
という儀式がもとになっているようです。
弓矢や松明(たいまつ)で鬼のお面を被った人を追い立てるというものでした。

追儺は平安時代の女流文学である
「蜻蛉(かげろう)日記」にも登場します。

書き手である藤原道綱母
(ふじわらのみちつなのはは)は

「人は童、大人ともいはず、
『儺やらふ儺やらふ』とさわぎののしるを、
我のみのどかにて見聞けば…」と
記しています。

大人も子供も、みんなで声を上げて鬼を
追っている様子が伝わってきます。
「儺やらふ」とは今でいう「鬼は外!」の
掛け声なのかもしれませんね。

こうして鬼を厄を祓う儀式として
親しまれてきた節分ですが
室町時代あたりから様子が
変わってきました。

現代のように
豆をまくようになっていったのです。

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3月のしきたり~ひな祭り

おひな様を飾って娘の健やかな成長と幸せを祈るのがひな祭りですね!

その昔は
「ひな人形が幸福をもたらしてくれる」
のではなく
「ひな人形が不幸を持ち去ってくれる」と
考えられていました。

人間の姿をかたどった人形とは人そのものを映しとったものでした。

紙や土で作った素朴な人形をさすったり息を吹きかけたりすると
自分の中の「災い」や「穢れ(けがれ)」を人形に移すことができると
考えられていました。
身代わり…それがひな人形のルーツです。

太古のひな祭りは、そんな人形たちを河や
海に流して厄払いをする儀式でした。
こうすれば娘が災厄から逃れることができるというわけです。
ひな人形は娘の不幸を背負って
流れていってくれる存在でした。

なんだか悲しい風習ですが、やがて平安時代の頃から様子が変わってきます。
呪術的な存在だった人形たちが工芸の発達によっていきいきと、かがやきだしたのです。
趣向を凝らした、たくさんの人形が作られるようになりました。

貴族の家庭の女の子たちの間では、
お人形遊びが大流行しました。
この、お人形遊びは雛(ひいな)遊びとも
呼ばれました。

やがて室町時代には親しい家の間で3月3日にひな人形を送り合う習慣が
根づいていきます。

せっかく贈っていただいた
手の込んだ立派な人形だと、
そうそう簡単に
流すわけにはいかないですよね。

3月3日の夜に娘の枕元に
ひな人形を飾っておくと
1年の穢れを吸い取ってもらえると
考えられていました。

そのあとは、
お祓いをしてしまっておくように
なったそうです。

江戸時代に入ると、ひな人形はどんどん豪華になり上流階級の間では、
ひな壇も飾られるようになりました。
そして庶民にも浸透した現在では立派な縁起ものとなっています。

時代が変わっても娘の幸せを祈る気持ちが
おひな様の中にあることは
昔と変わらないようですね。

ひな祭りの食べ物

3月3日は桃の花が咲く時期ですね!
そのために桃の節句とも呼ばれています。
たくさんの実がなる桃は生命力の
象徴とされて巷では桃を使った
スイーツがあふれますね。

雛遊びのときに食べられていた、
ひなあられや旬のハマグリも定番の
食べ物となっています。

大人は桃の花を浮かべたお酒か江戸時代から流行った白酒
(もち米やみりんから作ったもの)を、
おひな様を眺めながらたしなみます。

4月のしきたり~お花見

最近では春の一大イベントとなりつつある、お花見ですね。
ほんのわずかな期間だけ、いつもの景色を
がらりと変えてしまうほどに咲き誇って、
あっという間に散ってしまう…

はかない季節のかけらをとらえようと桜の木の下に日本人は集うのでしょうね。
この習慣は1000年以上も前から
行われてきた、といわれているようです。

奈良時代に元明(げんめい)天皇の
命によって日本各地の地理や風習、
産物などが詳しく調査されました。
その報告書ともいえる書物が
「風土記(ふどき)」です。

地域によってたくさんの「風土記」が
まとめられましたが写本が存在している
「常陸国風土記」や「播磨国風土記」、
「出雲国風土記」には、
お花見らしき記述が残されています。

春になって花の咲くころに山に登り、
お酒と食事を楽しんだ、といった内容です。
日本各地の山に原生していた山桜を愛で宴を開いたようです。

桜が咲くのは、
ちょうど農作が始まる頃です。
つらかった冬が終わり春になって生命が
芽吹く季節となります。

そんな時期に一瞬だけ萌えるピンク色の花に
古代の日本人は目を留め実りの象徴を
見たのだと思います。

このお花見のときに人々は桜の枝を折って
里に持ち帰り家や田畑に飾ったようです。
山の恵みを里へ農作物へと伝えて
豊作を祈ります。
この切実な気持ちこそが、お花見の根っこになっているのかもしれませんね。

そのあと中国文化が伝来した影響もあって桜だけでなく「梅見」をすることも
流行したようです。

桜よりも早く雪が降りしきる中で
咲くこともある梅は
強さや生命力を表すものとして
好まれていました。

現代のようなお花見の形になったのは
江戸時代だといわれています。
幕府は公園や河川敷などを整備して各地に
桜を植樹しました。

おかげで山に行かなくても、
お花見ができるようになりました。
上野公園や隅田川など
有名なお花見スポットも、
この時代に造られています。

来年の春には桜を見上げながら、
ほんのひととき昔の日本人の豊作への祈りに思いをはせてみるのも
いいかもしれないですね。
今までのお花見に少しだけ違う色彩が
添えられることと思います。

感想

今回は春のしきたり~節分、ひな祭り、
お花見について調べてみました。

現在では当たり前のように何気なく
行われている行事ですが、
それぞれには昔の日本人の素敵な気持ちが
込められているんですね。

それぞれの時期になったら先人の思いに
心を寄せながら楽しみたいと思います。

皆様の日々の生活にも
少しでもお役立ていただけましたら
嬉しく思います。

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